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廣津 卓夫 院長
ヒロツ タクオ
TAKUO HIROTSU |
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ひろつ小児科 |
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生年月日:1945年12月17日 |
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出身地:山口県 |
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血液型:O型 |
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趣味:クラシック音楽鑑賞(モーツァルト、バッハ)、ジャズピアノ鑑賞 |
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好きな作家:藤沢 周平 |
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好きな映画:ジャイアンツ、理由なき反抗、エデンの東 |
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好きな言葉・座右の銘:学問は登山に似ている。一段一段眺望は展けるが、汗をかかないでは頂上は極められない。 |
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好きな音楽・アーティスト:ジャズピアニスト(ビル・エバンス) |
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好きな場所・観光地:オーストリア |
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■小児科医を志したきっかけをお聞かせください。 |
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亡父が小児科医(山口県で開業)だったこともあり子供の頃から父の背中を見て成長しました。
精力的な父の仕事ぶりは子供心にいろいろなことをインプットしてくれました。
一時期、瀬戸内海に住んでいたこともあり坪内学「二十四の瞳」に感銘を受け離島の小学校の先生にも憧れたこともありました。しかし、父の患者さんから「跡を継いでほしいのでは・・・・」という一言で私の心は決まりました。
最近では「小児科医」は私にとって天職であったのではないかと思えることです。父に感謝! |
■開業にあたり江戸川区を選んだ理由をお聞かせください。 |
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25年間、大学病院で小児の疾患(ありとあらゆる症例を経験)を診てきたことを生かし、小児科専門医として子供の多いこの地で開業することにしました。
平成6年7月5日に江戸川区に開院することになったわけですが、開院当初は、患者さん達は本当に来院してくれるのか。江戸川区には来たものの周辺の事が全く解らない。
開院したてで看護婦さん達もろくに雇えない。などの理由で本当に不安でした。
案の定、開院した7月の患者さんの人数は10人でしたよ・・。
しかし8月は20人、9月は30人、10月は40人と少しずつ患者さん達も増えてきて、
おかげさまで現在では本当に大勢の患者さん達のご支持をいただいております。 |
■診療をしていて嬉しいことが多々あるようですが、お聞かせください。 |
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子供達のやさしさに感激!子供達は折にふれ、私の似顔絵や聴診器姿の絵を、時にはお手紙(私が入院した時などは励ましの手紙に涙をさそわれたこともありました)が届きます。
子供達のやさしさが嬉しく、頂いた物は診察室に貼り、1年ごとにスクラップブックに張替え保存しています。私の宝物です。 |
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■休日の過ごし方、夢中になっている事、幼少時代の話をお聞かせください。 |
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休日は家内と一緒にショッピングや音楽鑑賞に出掛けたりします。
息子も二人いますが、二人共、もう立派な大人なので、なかなか家族全員で出掛けることはないですね。
現在、長男も私と同じく医師として活躍しているのですが、耳鼻科に進みまして・・。
本当は小児科に進んでほしかったんですけどね。
仕事以外で夢中になっていることは、実はバラ栽培に凝っています。
親しい友人からバラ栽培を習っているのですが、これがまた奥が深いんです。
苗を育て、株を成長させ、花を咲かせるまでは、いろいろ大変ですが、
初めてバラを咲かせたときは本当に感動しました。バラに教えられる事も多くあります。
小学校低学年の頃は気が弱く、よくいじめられたりもしました。
しかし高学年になり、いい先生との出会いにより、私も変わり強くなれました。
その先生と行った瀬戸内海のキャンプは今でも忘れられません。 |
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■最後に今後の展望をお聞かせください。 |
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私の父は78歳まで医師として活躍し、亡くなる前日まで患者さんの診療をしていました。
そんな父に負けないくらい、私も体力の続く限り、ここ西葛西で小児科医として、がんばっていこうと思います。
※上記記事は2008.8に取材掲載したものです。
個人の主観的な評価や情報時間の経過による変化などがございます事をご了承ください。 |
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